NARAMACHI
AUGUST 2011
「格子に息付く街の鼓動」
奈良町は千年以上の歴史と伝統を誇る歴史的市街地。とくに江戸時代、元興寺の旧境内地を中心に発達した界隈は、当時の商工業の中心地であった。
1975年、東西に縦断する都市計画道路の建設工事を契機に、町並み保全運動が始まった。現在の町家ブームの先駆けである。
格子の家が並ぶ景観は、旅人と地に足を付けて生活する人々とを結びつける。
奈良市中を東西に走る三条通り。JR奈良駅を起点に、東の春日大社方面に向けて歩くと、やがて左に興福寺五重塔が見えてくる。
通りを挟んで右側には猿沢池があり、奈良町はさらにその池の南側一帯にある。
興福寺の北側は、近鉄奈良駅や美術館、県庁などが隣接する繁華街となっており、人が絶えることはない。
一方、奈良町には、平日の昼間にも関わらず、静けさが漂う。全国的な町屋ブームが広がりを見せる中、観光の目にも浸食されていないように見える。
古代、奈良町は、平城京条坊の外京として、飛鳥から移転した寺院が建設された地である。一帯には、今なお、興福寺や元興寺をはじめ、高林寺、徳融寺、興善寺、誕生寺、紀寺等が残る。
都が平安京に移り、平城京は荒廃したものの、寺は残り、寺領である郷ができた。人々はそこに住み着き、集落を形成した。これが奈良町の原形らしい。
町屋の歴史は、いくつか盛衰を繰り返している。
鎌倉時代、商業とともに寺社に縁の深い筆や墨等の手工業の発達、豊かさとともに、人々は、寺社の支配から離れ、自治を高め、文化を形成させたという。
しかし、安土桃山に入り、豊臣幕府の商業統制により、町は衰微する。
一方、徳川幕府は、奈良町を直轄地として復興させ、産業の町として栄えはじめると、やがて東大寺や春日大社へ訪れる参拝者のための門前町として多くの人々が訪れるようになる。
1702年、大仏再建を契機に、奈良町は、当時、京と並び、全国的な名所として知られることになる。
明治以降になると、鉄道網の整備により、奈良市の中心街としての形を整えていき、
時には厳しい戦禍をまぬがれ、趣ある歴史的な町並みを現在に伝えているのである。
明治以降、鉄道網の整備により、市の中心市街地としての形を整えていった(神戸 2001)。
しかし、厳しい戦禍をまぬがれ、晒、酒、漬物など、奈良を代表する産物を作り出し、趣ある歴史的な町並みが残してきた界隈も、戦後、都市化の波を受けると、全国の地方と同様、若者は都会へ流出するなど、町自体は徐々にその輝きを失っていく。
1975年(昭和55年)、奈良町界隈を走らせる都市計画道路(「杉ヶ町高畑線」)の工事が計画された。これに伴い、一帯の町並み調査が実施される。
調査の結果、町の魅力が意識され、当時の街自体の衰退、危機意識もはずみとなって、官民一体となって町並み保全への取り組みが始まる。
1987年、道路と電柱は、町並みと調和するように着色され、春日灯籠を型どった街路灯が設置され、1990(平成2)年には「奈良市都市景観条例」が制定される。
1992年1月、「快適で潤いのある住環境の整備」、「新しい文化の創造及び観光と地域産業の活性化」を基本方針とする「ならまち賑わい構想」が発表され、同年3月、「奈良都市景観形成基本計画」を策定。
そして、1994年、奈良町都市景観形成地区の指定とともに、「景観形成基準」が定められる。これによって、界隈に立つ建物の位置、構造、外観が、一定のスタンダード値によって、意匠が整えられるということになった。
これらの施策をみると、総じて、ハードからソフトへと視点が移ってきている。
奈良町は、今、文化の町として発信している。
町並みは意識しなければ目に映らない。人々が見ようとしなければ、景観を保存することはできない。そして、保存は、あるとき、進歩への足掛かりとなりうる。保存は、施策ではなく、人々の意識によってなされるものだろう。
界隈を歩いていると、格子の家々が次から次へと現れてくる。
それらの格子の多くは、観光地に多く見られる装飾物として立つのではなく、生活とともに長い年月を耐え、一切の虚飾が削ぎ落とされてきた風情がある。つまり、人々の日々の息遣いがその格子の隙間から見えるのである。
中には、コンクリートビルに現代風の格子を設置した建築物も見つけることができたが、それとて、設計者は奈良町に立つ格子の家としての陰影の文化を意識しているように見えた。
格子戸や格子壁を家の外側から眺める場合、格子に向かって真正面に立っている場合には、格子の内側の全貌が現れるが、少しでも斜めになるにつれ、それは徐々に隠されていくという構造をもつ。
他方、内部から格子を通して、外を眺める場合には、光量や見る者の動作の関係から、外から中を見る際の見難さを遥かに超えて、外の景色を捉えやすい。
いわば、格子は、見る者と見られる者、コト、モノらとの相乗機能を有する建築物である。外からは内部を遮断し、内からは外を開放する。
格子はまた、住いとして、日射、風量、湿気等の調節を兼ね備えているが、商いの拠点としてもその機能は効果的である。
商品のすべてを見せたいような場合には、格子間のピッチを長くして、一部隠す方がよい場合には、ピッチを短くする。
不思議なもので、人間の心理には、格子を見ると、その内部を覗きたくなるという一種、隠微な世界があるらしい。
通りを往来する客筋の足を止め、格子の奥に並ぶ商品を格子を通じてショーアップしていくという、直線美の中に、極めて粋な文化が潜んでいるわけだ。
古来より、格子の種類は数多く、形も様々だが、相対的に、太い格子は古く細い格子は新しい。
おそらく、奈良の格子は、国内最古の格子文化の原形のひとつと考えてよいだろう。
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