AIZU OHUCHIJUKU
AUGUST 2009
舗装道路を土壌に変えた理由
江戸時代、江戸と会津を結ぶ街道の宿場町として栄えたが、明治維新以降、近代化され街並みは崩れた。
しかし、近年、街並みの保存運動が広がり、舗装道路の撤去や水路を復活させるなど、江戸時代の姿に取り戻している。
国重要伝統的建造物群保存地区。
江戸時代、大内宿は会津若松と日光を繋ぐ会津西街道(下野街道)と呼ばれる街道の宿場町であった。江戸時代に街道が整備され、会津西街道は会津藩や新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代に使用された。
大内宿は山々に囲まれ、宿場町として独自の発展をみせ、本陣や旅籠、問屋などが設けられ賑わった。
明治維新後、街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が現象し衰退した。
この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となり昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていた。
戦後、近代化により、道路は舗装され、金属板葺きの屋根、アルミサッシなど、街の景観は江戸時代の面影を消し去っていった。
昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定された。
現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつある。
イギリスの女性旅行家、紀行作家であるバードが、大内宿に立ち寄り、阿部家に宿泊している。
その光景は、彼女が明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行して描き上げた『Unbeaten Tracks in Japan』(邦題『日本奥地紀行』、『日本紀行』)の中に書かれている。
イザベラ バード Isabella Lucy Bird
1831年、イギリス生まれ。女性旅行家。
1856年、アメリカやカナダの紀行、『The Englishwoman in America』を著し、その後、世界中を旅行。
1878年(明治11年)6月から9月にかけ、東京、日光、新潟、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。10月には神戸、京都、伊勢、大阪を訪問。これらの体験を、1880年 "Unbeaten Tracks in Japan" 2巻に著す。
大内宿へのアクセス
大内宿は、日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎がある会津鉄道「湯野上温泉」駅から6キロメートルほど山中に入る。
この街道は会津若松と下野の今市(現・日光市)とを結び、下野街道、会津西街道、あるいは南山通りなどと呼ばれ、中世以来、藩主や軍馬の通行に利用されていた。
江戸時代、会津藩はこの街道を江戸への最短距離として整備し、その宿場のひとつとして大内宿を設けたのだ。大内宿は若松城下から数えて三番目の宿場だ。
半農半宿で、農業をしながら参勤交代の折、殿様に昼食を出したり、旅人の宿を提供したり、駄賃を稼いだりして生計を立てていたという。
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