MAKIO Haruki
February 2010


スタジオOJMMで目指しているのは、「建築」や「デザイン」を軸にして、既存の「設計事務所」とも違う、新しい、楽しい働き方を追求することです。
たとえば、出版などのメディア露出から設計や翻訳の仕事へとつながっていくことがありますし、設計や翻訳からも同様の波及があります。
いわゆるシナジー効果ですが、複数の業務運営をする場合には重要ですね。
そのなかでわたし自身としては、設計の作業に労力を注ぐこともあれば、翻訳、あるいは、研究や編集の作業に力をいれるときもあります。
業界による違いもありますから、たとえばスポーツなら比較的若いときに選手としてのピークがあるように、わたしにとっても、もうすこし歳をとれば設計業務の比率が高くなるでしょう。
具体的なきっかけはありません。
ただ、小さいころからものをつくるのが好きで、大学では建築学科に進んだんです。
でも当時は、じぶんが一生の仕事としてなにをしていきたいのか、というところまでは実感がなくて。
その後、奨学金をいただいて留学できることになったのですが、留学先では社会科学を専攻することにして、国際開発や環境問題の研究をしました。
建築や日本からすこし離れたところで、自分の生き方や仕事というものについて、はじめて深く考えた気がします。
それで改めて建築や都市の研究を博士課程でしながら、スタジオを立ち上げて設計や翻訳の仕事をはじめた、という感じです。
ひとつは、東大阪で倉庫をカフェにリノベーションするプロジェクト。
メニューや運営面の企画にも参加しています。
まだ基本設計の段階ですが、アートをテーマにすえた、落ち着きのある空間になりそうです。
もうひとつは、中古マンションをリノベーションするプロジェクト。
こちらは、物件探しからアドバイスさせてもらっています。
もちろん、予算や立地などご本人の希望で物件を探すわけですが、買ってからリノベーションに向いていないと分かったら困りますもんね(笑)。
リノベーションには構造や設備面での判断もかかわってくるので、そういった点のアドバイスをさせていただいています。
一言であらわせば、「バランス」です。
設計者は、オーケストラをまとめる指揮者にたとえられることがありますが、建築をつくりあげていく過程には多くのひとがかかわります。
建物を使うひと、設計するひと、という両者の立場をいったりきたりすることが重要です。その往復運動で、両者のあいだにある建築がよいものになります。
依頼者、設計者、建築、3つの関係がうまくおさまることですね。
まあ、これは、設計にかぎらない話かもしれませんが。
印象に残ったものや場所は多いですが、あえて挙げればメキシコです。
メキシコシティでは、個々の建物もそうですが、全体としての街並みが印象にのこっています。
都市の周辺部では、仕事をもとめて地方からやってきたひとたちが勝手に家を建てて住んでしまう。
いっぽうで、富裕層が住む地域では誘拐が多いといった現象が起きている。
そんな混沌とした状況のなかでも陽気なひとびとに接して、とても大きなカルチャーショックでした。
あとは、ピラミッド。
心に響くというか、より強い印象をきざむのは、前近代的なモノのような気がします。
トゥーラ遺跡(メキシコ)
ずっと大阪で生まれ育ったこともあって、京都や奈良にはよく足をはこびます。
わたしは、信仰心は浅いんですが、そういうこととは関係ないですね。
さきほどの「前近代的」につながりますが、やはり訴求力があるのは、歴史を重ねた場所なのかもしれません。
すこしセンチメンタルな表現であれば、ロマンというやつです(笑)。
海外でも、有名な観光地の多くはいわゆる廃墟であって、そこで過去をしのぶわけですから。
日本でいうと、それは京都や奈良のような場所なのかなあというのが、わたしのいまの考えです。
関西以外では、鹿児島の知覧が印象に残っています。
武家屋敷通りは、訪れたときの気候もたまたまよかったのだと思いますが、のどかな印象でした。
また、戦争時には知覧飛行場が本土最南端の出撃地であったことから、知覧には特攻平和会館があります。
ああいう場所では、月並みな表現にしかならないですが、戦争の悲惨さとともに、自分がいまおかれている平和のありがたさを実感しますね。
とくにそのときは寝袋を持ってヒッチハイクしていたので。
同じことは、海外ですが、ドイツ・ベルリンのユダヤ・ミュージアムでも感じました。
年齢を疑われそうなので念のためにふれておきますが(笑)、もちろん、新しい建築も好きですよ。
ニコラス・G・ハイエック・センター(銀座にあるスウォッチのビル)なんかもおもしろいですよ。
坂茂氏は、「実験的」といった言い訳で自己表現的なことをするのではなく、きちんと「実験」をしているところが素晴らしい。
抽象的な表現になってしまいますが、使用者と設計者の両方が愛情をもてる建築です。
ひとつの建築で世界が変わってしまうこともある。
それは決して大げさな話ではなくて、少なくとも、建築というのは当事者にとっての世界に大きく影響するものだからです。
そういうことを忘れずに、建築に携わっていきたいですね。
じつはあまり言いたくない話なんですが(苦笑)、英語ができなくてくやしい思いをしたからなんです。
高校のときに遠足で京都にいったんですが、道にまよっている外国人の方たちがいました。その場にいたメンバーでは、わたしが一番「英語ができる」ってことになっていたんです。学校で、ほかの成績はともかく、英語の成績はよかったので。
でも、学校以外で外国の人としゃべったことというか、そもそも授業でも英語をしゃべったことがない。英語に触れるような環境はなかったですし。
当然、ぜんぜん話になりませんでした。それが悔しくて、それからは、文法的なことはもちろんですが、現場で使える英語も勉強しようとおもいました。
だから、いまあの外国人たちに会えたら、実戦的な語学を勉強するきっかけを作ってくれたことに対してお礼を言いたいです。
いまなら、わりとスムーズに英語でお礼を言えるだろうし、道案内もできるとおもいます(笑)。
仕事としては、留学の前後くらいに、まわりから声をかけていただけるようになりました。建築関係で語学を深くやっている人は少ないですし、建築の分野だと言葉はなくても図面だけで通じてしまうんですよ。
そういう意味では、わたしの場合、建築から離れて留学したのがラッキーだったのかもしれません。
建築と翻訳を商業的にみれば、ともに受注生産だし、依頼者がいると同時に作家性もある、といった共通点があります。
業務上のシナジー効果はありますが、わたしの中では、いまのところ別物という感じです。
これから変わるかもしれませんが。
もちろん、言語によって「建築」の意味は違います。
当然、それに伴う表現形式や美意識も。
日本語の「建築」や「建築家」と英語の「architecture」や「architect」は、社会的な成立経緯も、物理的な性質も異なっている。
これは建築にかぎらずあらゆるものを「翻訳」するときにつきまとう問題ですが、言葉は文化や社会と強くつながっていますから。
たとえば、最近はあまり使わなくなってるかもしれませんが、「世間体」という言葉なんて、うまく訳すのが難しいですよ。
ちょっと硬い話になってしまうので、分かりやすく「合コン」とかを例にしてもいいですけれど(笑)。
「I love you.」だって、日本語では相手との関係性の問題があるので気をつかいます。
同じように、建築であれば「畳」や「ふすま」、「庭付き一戸建て」なんかも、そのニュアンスまで正確に伝えるには工夫を要しますし。
正確さが要求される論文、特許や報告書なんかは別ですが、翻訳では、相手に伝えるための工夫や余地というのが発生することがあります。
村上春樹氏は、翻訳家なり訳文に求められるものとして「偏見のある愛情」といっていますが、じつに的を射た表現です。
現在、作業中のものが3つあります。
ひとつは、継続的なお仕事で、日本建築学会の機関紙『建築雑誌』での翻訳監修。
英文のキーワード設定のほか、海外との交渉なんかもさせていただくことがあります。
重鎮の先生方とのやりとりも楽しく、役得です。
2月号では、拙訳が巻頭に掲載されています。
「建築雑誌」( 日本建築学)
つぎは、INAX出版の現代建築家コンセプト・シリーズの最新作。
このシリーズでは毎回、日本の若手建築家を取り上げています。
建築業界の最先端にいち早く触れられるという意味でも、作業が楽しみです。
3つ目は、恵比寿映像祭のカタログ用テキスト。
建築ではないですが、アートという広い分野ではつながっています。
映像祭という性格上、一般的な定訳がまだつくられていないような、コンセプチュアルなものや最新技術に関係する内容があるので、どうやって正確につたわるように訳していくかが悩みどころです。
『フランク・ロイド・ライト / 旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)』です。
これは、「ワールド・アーキテクチャー」(出版:バナナブックス)のシリーズなのですが、ほかで取り上げている建築は、フランスにあったりチェコにあったり。
遠いので、なかなか現物を確認しに行けないですよね(笑)。
それにくらべて、旧山邑邸は兵庫県にあり、この翻訳のお仕事をいただく以前にも何度か行ったことがありました。
翻訳用の原稿をいただいてから、週末に現物をもういちど確認して、作業を進めることができました。
限られた日数での作業なので、こういうプロセスで進められることはすごく少ないですが、翻訳本にも建築にも愛着がわきますから、理想的です。
こんどは桜のきれいな季節にいってみたいですね。
旧山邑家住宅(設計:フランク・ロイド・ライト、芦屋市)
いまは、研究というよりも、編集や出版にちかいところに携わっています。
スタジオOJMMを立ち上げたときは博士課程に在籍していましたし、その後もメルボルン大学で客員研究員をしていたりで「研究」という部分が大きかったんですが、ここ数年で、すこし変わってきました。
学芸出版社で「学芸カフェ」という連載をさせてもらっています。
わたしは連載全体の企画・編集のほか、今年からはインタビューをしているんです。
たとえば1月号、2月号では、イラストレーターの中村佑介氏や書家の華雪氏にお会いしました。
連載陣もふくめ、さまざまなジャンルの第一線で活躍しているひとたちと会えるのは刺激的で、学べることが多いです。
そのすこし前からお話しますと、わたしは26歳まで、海外に出たこともなかったんです。旅行もふくめて。それが、留学のための奨学金をいただけることになって、パスポートも取って、はじめて海外(オーストラリア)に行ったんです。
住んでいた寮がよくて友人がたくさんできたんですが、そのうちの二人が、格安の世界周遊券で旅をしていることを聞きました。
わたしは初めての海外ですし、なにせ貧乏学生ですから、当然、そういうチケットがあることすら知らなかった。
世界をみておきたいと思い、アルバイトを増やして、それで当時15万円くらいだった世界周遊券とすこしの軍資金を用意できたんです。
あとは友人の家に順番におしかけて泊めてもらいました(笑)。
いま思えば、寮の大家さんの、「色々な文化の学生を受け入れたい。小さな国連みたいな感じで」という方針がすごくありがたかったです。
そうやって友人の協力がえられたおかげで、その国の文化や社会を深く知ることができました。
一年くらい放浪していましたが、結局わかったことというのは、いろいろな場所でいろいろな人がいろいろなことを考えながら生きている、つまり世界はひろい、ということ。それだけです。
それからみれば自分という存在はほんとうにちっぽけなものだし、小さなことを気にせずに思い切りよく生きていけばいい。
写真提供牧尾晴喜氏

